愛知県医師会交響楽団について

発足の経緯(旧ホームページより転載)

(胎動期)

 昭和48(1973)年5月17日、米国ロサンゼルス市から、「Los Angeles Doctors Symphony Orchestra」が来名し、新装なった名古屋市民会館でみごとな演奏会を開きました。そこでの純益を社会福祉事業に寄付したことにいたく感銘した、当時”名古屋市”の医師会長であった中村道太郎氏は、同団の歓迎の宴で、「自分らもきっと貴殿らのような立派な交響楽団を作るからみていてください」と約束したのでした。

 昭和51年に県医師会長に就任した中村氏の強い意向を受けた野口圭一理事が、53年の夏、注目すべき一文を「医師会報」に載せましたが、これがオーケストラ創立の原動力になっているのかもしれません。

 そこには、5年前にLos Angeles Doctors Symphony Orchestraが市民会館でチャリティー演奏会を開いた時の感激や、愛知県の医師、医療関係者の大きな驚嘆と羨望のこと。さらには、日本は物質的な価値観に走り、文化的遺産を失いつつあるが、開かれた医師会に生まれ変わり県市民の中に溶け込み、医師会の理念と精神を伝える時には、文化としての音楽を持ち込まねばならないだろう。愛知県医師会は新会館の竣工に備えて『交響楽団』を創る必要がある。名古屋学生交響楽団や名大交響楽団の創設いらいの大功労の若井一朗氏(現コンサートマスター;副団長)が開業したことでもあるから、やれない筈はない...... 等々と熱っぽく書かれていました。

 昭和55(1980)年10月、理事の野口氏と宮崎氏を中心に、「開かれた医師会」の事業の一つとして、交響楽を演奏するほどのオーケストラを結成するための予備会談が池間氏、鷲津氏らとなされ、医師会の理事会に諮られることとなりました。

 理事会通過後、11月18日付「愛医発第896号」の愛知県医師会長通達で「既に3回の打ち合わせを終え、最終会議を行うので、12月3日を期して医師、薬剤師、家族、従業員らの参加と演奏内容の意見を回答するように」と”潜在”団員に連絡がなされました。その1/5が参加を表明しましたが、もう一回「医師会が設立した事を公文書にして出して欲しい」との若井氏の声に応える形で、12月12日付「愛医発第998号」の医師会長通達には「愛知県医師会の文化事業の一として、『愛知県医師会交響楽団』(仮称;後述)の設立を期して演奏会を計画したので、出席するように」との団長宣言と団長招集の形がとられ、医師会のオーケストラとしてスタートすることが決まったのです。

 同年12月17日から「団員」の猛練習が赤塚(愛知県医師会仮事務所は当時、東区赤塚町1-11-1にあった)で始まりました。

コンサートマスターを創立以来つとめた副団長の若井氏曰く、「オーケストラの『設立の日』として昭和55年12月12日を選ぶか、または練習開始の昭和55年12月17日を選ぶかは、『愛知県医師会長名による設立宣言の日』の方が、何よりも意義の有る日だと思います。」

 当初、医師会長は、今のようなチャリティー演奏会が出来るとは思いもよらなかったようでした。唯、「今日医師が医学の論理を重んずるの余り人間性を喪失した干涸びた姿勢に陥ることはないか、自らも国民も苦悩している。音楽の実践など人間性を呼び起こすのに大きい役割を果たす事を考えると当楽団の存在意義も大きいものと言わねばならない。」と楽団披露の挨拶をされ、また野口理事は「交響楽団が医師会の行う健康教育、講演会、学会、チャリティー行事などに出演し広く県市民と医師会とのキズナとなるように願わずにいられない。暇を縫って時に集まり、自己主張でなく他をよく聞き協調する心こそ、この交響楽団の心であり、医師の心でもある。専門分野の医師の交流にも役立たせながら、末長い活動を期待する」と理事挨拶文を書かれました。

 

(新生児期)

 

 翌昭和56(1981)年、現在の愛知県医師会館(名古屋市中区栄)が竣工し、その竣工記念演奏会でヘンデルの「水上の音楽」が演奏されて、オーケストラとしての産声をあげたのですが、発足当初は「愛知県医師会管弦楽団」と称し、医師会の原案であった「交響楽団」の名はお預けとなっていました。この名前に変更されるのは、創立10周年を記念して開催された「第九」演奏会(平成3年(1991);後述)のときです。

若井氏(前出)は「医師会の持つ高邁な思想と私達の奏でる音楽との格差に恥じ入るばかりの日々が続き、名前を『アンサンブル』くらいにして欲しいという本心はとても言い出せず、せめて三管編成になるまで『管弦楽団』の名でおいて下さいと願い出るのが精いっぱいでした。」と語る。

 医師会員相互の親睦と研鑽を活動の柱としていますが、医師会員だけでオーケストラ活動を維持していくことは困難で、会員以外の応援は不可欠でした。 しかしこれは「広く世間にひらかれた医師会を」という道筋にも合致していて、現在は医療関係者のみでなく、社会のさまざまなメンバーから団員が構成されています。まさに、「オーケストラは社会の縮図」と言えるでしょう。

 新しくオーケストラができると聞いた医師会員からは、団所有となる楽器の寄贈がありましたが、これは発足にあたっては何よりもありがたいことでした。また、コントラバスやティンパニなどは個人での購入や保管が困難です。医師会館九階にある倉庫に楽器(あるいは楽譜)を置かせて頂いていますが、医師会館講堂を練習に使用させて頂く場合があることも合わせて、恵まれた環境で活動できることに感謝したいと思います。

 活動は年1回の定期演奏会を中心に、医師会主催行事や各種学会でのアトラクション、看護学生や妊産婦対象に行われる演奏会など、多岐にわたっています。弦楽合奏など小編成での演奏依頼にも積極的に対応しています。近年はサマーコンサートと題して、普段開催する名古屋市ではなく県内各地で演奏会を企画するなど、活動は多面的です。

 

(幼くして外国へ)

 

 昭和60(1985)年には鈴木知事からお褒めの言葉を頂戴するまでになりました。余勢をかって、この年の暮れから翌正月にかけて、愛知県と中国江蘇省の友好五周年(名古屋市と南京市は友好姉妹都市です)を祝うという知事と県医師会長の親書を携えて南京演奏旅行を行いました。このときに共演した中国のピアニストとは翌年の定期演奏会でも共演しています。悪天候のため、南京に着陸する予定の飛行機が上海に降りてしまい、急遽一両増結してもらった夜行列車に揺られて南京へと移動(先に現地入りしていた中島総務は途中駅から合流!)することになったり、本番会場の南京市湖南会堂のピアノが鍵盤のハンマーが壊れていて応急修理をしなくてはならなかったりと、様々なハプニングもありましたが、団員の中には中国語が得意なメンバーがいて交渉は問題なく済み、オーケストラとしての結束が高まることとなりました。

 

(盲導犬サーブ)

 

 単に音楽をしたいから集まる、というのではなく、音楽の演奏で何かを、医師会の言葉を借りれば「人類社会の相互理解と福祉増進のため」に役立ちたいという高い理念をもってオーケストラ活動を行っています。たとえば昭和63年の第6回定期演奏会ではチャイコフスキーの交響曲第5番を演奏しましたが、このとき新しい出会いがあったのです。

 チャリティーの献金を捧げた中部盲導犬協会には有名な盲導犬「サーブ」がいました。しかし、自らの身を挺して元主人の桑山さんを守ったがために三本足となってしまった「サーブ」も体力の衰えで元気がなくなってきた、と聞いた我々は、なんとか「サーブ」を励まそうと桑山さんと「サーブ」のためだけに小さな演奏会を企画しました。定演のタクトを執る山岡重信氏も快諾し、コンサートは実現したのです。その模様はテレビにも取り上げられ、また、小学生の副読本にものりました。

 

(ついに第九)

 

 楽団も創立10周年をむかえることとなり、なにか大きな節目となる演奏会をしようと計画していました。それから遡ること三年、ある用事で山本直純氏(映画「男はつらいよ」のテーマや「大きいことはいいことだ」のCMソングでお馴染みですね)を訪問した際、「君たちで『第九』はできる。私がそれを引き受けよう」と太鼓判で保証されてしまったという経緯がこの話の伏線となります。直純氏の父君、直忠氏は当地の南山大学とゆかりのある方で、昭和30年代後半には地元での第九演奏会を初めて行いました。約30年後、ご子息の直純氏の指揮する医師会の第九に当時のメンバーも数名参加することとなりましたが、何か深い因縁めいたものを感じさせます。 とにかく、これですべてが動きだしました。

 若い頃からの耳の病に終生悩んだベートーベンは、シラーの詩「An die Freude」を四楽章に合唱曲として取り入れた最後の交響曲、第九番を1824年に完成させましたが、初演直後の観客の歓喜の声は聞くことができなかったといいます。この合唱を我が団の演奏に迎えるには、更なる協力者が必要でした。

 中北薬品の方々のさまざまな力添えは、どれほど私達のエネルギーとなったことでしょう。平成2(1990)年の6月頃から準備にとりかかった同社の担当者は、9月になるとパンフレットを医師会歯科医師会薬剤師会・看護協会等に大量に配布して参加者を募りました。12月の締切には300名近い申込となり、翌平成3(1991)年3月30日、千種区役所で山本直純氏を迎えての結団式、4月からの週2回の練習と、こちらもスタートを切ったのでした。

 難病救済支援のための「第九」演奏会(平成3(1991)年10月13日:白鳥センチュリーホール)は大成功でした。この10周年の演奏会をクリアしたことで、オーケストラとしてなんとかやっていけそうだという手応えを団員が感じたのだと思います。

(つづく)

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